丸の内ピカデリーにて、主演を務める佐々木蔵之介さんをはじめ、内藤剛志さん、藤原季節さん、緒方明監督、そしてスペシャルゲストとして、本作の音楽を担当したアコーディオニスト・作曲家のcobaさんが登壇し、本作の公開記念舞台挨拶を実施いたしました。
満員の客席を見渡した佐々木は「公開記念舞台挨拶に来ていただきまして、ありがとうございます。皆様とお会いできることを本当に楽しみにしていました。ゴールデンウィークの本当の最後の午前中から見ていただきまして、嬉しいです」と笑顔を見せると、内藤は「僕たちは監督の『ヨーイ、スタート』という掛け声とともに芝居をして『カット』となって、それを何度も何度も繰り返して映画を撮っていくんですけれども、やはりこうやって皆さんに見ていただいた時が本当の完成だと思っております」と呼び掛け、感謝を口にする。

緒方監督も「6、7年前、下北沢の飲み屋で「俺の遺作は『幕末のヒポクラテスたち』や』と言っていたのが大森一樹さんでした。その後、大森さんは病気になって、向こう側に行ってしまった。でも、時々撮影中も私の夢の中に出てきて、『緒方、蔵之介の芝居、あれでええんか』とか、『内藤は相変わらずうるさいやろ、あいつは』みたいなことを言っていて。今日もこの辺に来ていると思うんですけれども、やっと完成いたしました。皆さんの拍手と笑顔が何よりの喜びだと大森さんも言っております」と映画公開に感無量な表情を浮かべていた。

本作との出会いについて、佐々木は「『大森さんのこういう遺志を持った映画があるんです。一度終わりかけたんですけど、でも何とか実現したい』という風にお声掛けいただいて」と振り返り、「それはすごくありがたいけど、少しプレッシャーもありました。でもそれ以上に、(この作品が)京都の撮影所で、普段話している自分自身の京都の言葉を使ってお芝居ができること、しかもお世話になった京都の撮影所でもあるので『ぜひさせてください』とお返事しました」と幸せそうに語っていた。
内藤と本作の出会いもドラマチックだ。内藤は「45年前に『ヒポクラテスたち』という大森監督の映画に出ているんです」と切り出すと「僕がまだ25歳の時だったんですけど、さっきちょっと本当に気づいたんですけど、ここ(会場)マリオンですよね。ここって昔、朝日新聞の本社があったんです。僕、そこでアルバイトをしていたんです。そこに大森一樹監督から直接電話があって、僕が取ったんです。それで『内藤、映画撮るで。京都来いや』って。まさにこの場所なんですよ」と運命的な出来事を明かす。

今回、東映京都撮影所での撮影が初となった藤原も強い思いを抱いてのクランクインだった。藤原は「何のご縁か自分を新左役に選んでいただいて、こうやって貴重な経験をさせていただきました。大森監督にお会いしたことはないんです。でも勝手ながら、大森監督は映画館というものをすごく大切に考えていた人なんじゃないかなと想像していまして。こうやって世の中が変わっていっても、映画館というものを大切に守っていきたいなと、今勝手に思っています」と熱い思いを語る。
さらに過酷だった京都での撮影に話が進むと、佐々木は「めちゃくちゃ京都は寒くて、セットも寒いんですよ。季節さんは刺青のメイクに3時間ぐらいかかっていて。その間ずっと裸なわけです。『寒いか?』と聞くと、『寒いです』って。そんななか、手術するシーンが出てくると思いますが、現代の手術だと上から明かりをつけるじゃないですか。でも映画ではろうそくをたくさんつけていたんですね。するとポタポタと彼の身体にろうそくの蝋が落ちるんですよ。すると『熱っ!熱っ!』ってなるんです。一方でめちゃくちゃ冷えるので『寒い』って。こちらは『どっちやねんお前、寒いんか熱いんか』ってなって、それがおかしくてたまらなかった」と振り返る。その佐々木の発言にも藤原は「とても緊迫したシーンでしたが、すごく楽しかった。僕は京都の撮影所で映画を撮るのが夢だったので」と笑顔を見せていた。
藤原は、撮影の1年ほど前に東映京都撮影所の見学ツアーに参加していたことを明かすと「そのとき、俳優会館に行って『ここが、高倉健さんが使っていたトレーニングルームです』みたいな説明を聞いて『おおー』となって。もうそこに手を合わせて『どうかこの東映の京都の撮影所で撮影させてください』とお祈りしたら、この映画の話が来たんです」と運命的な出来事を明かす。

それを聞いた内藤は「それは素晴らしいね」と驚くと「僕も20代から東映の撮影所には通っていました。完全に東映育ちと言っていいと思います。京都の東映撮影所って『東京でどれだけ売れているか知らないけど、こっちでは知らんで』というところなんですよ。だから京都で認められないとやっぱりダメだっていうルールがどこかにあったんですね。そこで育ててもらったことが本当に嬉しいです。でも僕より年上の方がですね、里見浩太朗さんや北大路欣也さんがいらっしゃいました。本当に人を育てるということ意味でも大切な場所でした」と日本映画にとって大切な場所であることを強調していた。
イベント中盤、スペシャルゲストとして、本作の音楽を担当したアコーディオニスト・作曲家のcobaが参加。cobaは「素晴らしい映画の音楽を担当させていただいて、本当にありがとうございます」と感謝を述べると「予算、時間、そして監督のおっしゃる高い要求と戦う日々ではございましたが、『蘭方医のテーマ』に辿り着いた時に『よし、勝った』と思いました。監督からは『パリの裏通りが見えるような音楽を作ってくれ』と、非常に高いハードルでございましたけど、頑張りました」 と笑顔を見せ、本作のメインテーマもアレンジしながらアストル・ピアソラ作曲の「リベルタンゴ」(Libertango)の一部をアコーディオンにて生演奏を披露し会場は大拍手!

美しいメロディに酔いしれた緒方監督は「大森さんが大好きだった映画で、60年代、70年代のフランス映画っていうのがありまして。まあ、蔵さんでずっとやっていくうちに『ジャン=ポール・ベルモンドじゃないか、この人は』って思うようになりました」と音楽の意図を明かすと、佐々木は「一観客として聞いていました。パリの裏通りっていう香りがぐわっときて、涙が出そうになるぐらいありがたかったです」と感激していた。
イベント終盤、大ヒットを願い、登壇者全員そして観客も一緒に盛大な掛け声とともに鏡開きを行うと、大森監督の思いを受け継いだ監督、キャストたちが熱い思いを吐露する。緒方監督は「大森さんが40年以上前に撮った『ヒポクラテスたち』というのは、とても幸福な映画でして、もう亡くなられた方もいっぱいいらっしゃるんですけれども、この映画が本当にぜひ幸福な映画になるよう、大森さんからバトンを受け継いで、素敵な仲間たちと一緒に作りましたので、皆様一つ、これからもよろしくお願いいたします」と思いを伝える。
藤原は、初日に映画館で本作を鑑賞したそうで、「今、映画館は飲み物を持ち込む、持ち込まない論争みたいなのがSNS上であり、その是非はともかくとして、そういった他者に対する厳しい目線だったり、便利さを追求した結果みたいなものが、映画館を少し通いづらい場所にさせてしまったのかなと僕は思って、とても寂しかったんです」と胸の内を明かすと「でも、その寂しさを乗り越えてこの映画館の座席に座って、室井滋さんのナレーションが流れ、cobaさんの音楽が流れた瞬間に、俺は『幕末ヒポクラテスたち』を観に来てよかったと本当に思ったし、すごく楽しかったです。だから、この映画はぜひ映画館へ観に来ていただきたいです」と熱烈アピール。
内藤も「先ほど皆様、この映画のエンドマークをご覧になったと思いますけれども、冒頭で申し上げました通り、僕たちの仕事は一つここで終わるんですね。ですが皆様、ここからそれぞれの、少し言い方はあれですけれども、僕たちは球根であったり、種のようなものをお渡ししているような気分なんです。皆さんがそれぞれ違う花を咲かせていただければすごく嬉しく思います」と思いを観客に託す。そして最後に佐々木は「映画って、企画が出てもそう通らない。そして、やるとなっても途中で終わってしまったり、実現しなかったりします。直前、1週間前になって『え、なくなったの?』となることも。あとは完成したけれど公開できない作品があったり。いろいろある中で、昨日が初日で、今日このように皆様とお会いできることは本当に奇跡だと思っています。劇中に『人生は短し、術の道は長し』とあります。大森監督の遺志を継いで、緒方監督、そして先輩方、僕たち、そして後輩の皆が、この映画を繋いで引き継いで、次に渡そうということが何とかできたかな、監督に喜んでいただけるかなと思っています」と胸を張っていた。
